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4.10 十七日夜、夕顔の葬送
日が暮れてから惟光(これみつ)が来た。行触(ゆきぶ)れの件を発表したので、二条の院への来訪者は皆庭から取り次ぎをもって用事を申し入れて帰って行くので、めんどうな人はだれも源氏の居間にいなかった。惟光を見て源氏は、
「どうだった、だめだったか」
と言うと同時に袖(そで)を顔へ当てて泣いた。惟光も泣く泣く言う、
「もう確かにお亡(かく)れになったのでございます。いつまでお置きしてもよくないことでございますから、それにちょうど明日は葬式によい日でしたから、式のことなどを私の尊敬する老僧がありまして、それとよく相談をして頼んでまいりました」
「いっしょに行った女は」
「それがまたあまりに悲しがりまして、生きていられないというふうなので、今朝(けさ)は渓(たに)へ飛び込むのでないかと心配されました。五条の家へ使いを出すというのですが、よく落ち着いてからにしなければいけないと申して、とにかく止めてまいりました」
惟光の報告を聞いているうちに、源氏は前よりもいっそう悲しくなった。
「私も病気になったようで、死ぬのじゃないかと思う」
と言った。
「そんなふうにまでお悲しみになるのでございますか、よろしくございません。皆運命でございます。どうかして秘密のうちに処置をしたいと思いまして、私も自身でどんなこともしているのでございますよ」
「そうだ、運命に違いない。私もそう思うが軽率(けいそつ)な恋愛漁(あさ)りから、人を死なせてしまったという責任を感じるのだ。君の妹の少将の命婦(みょうぶ)などにも言うなよ。尼君なんかはまたいつもああいったふうのことをよくないよくないと小言(こごと)に言うほうだから、聞かれては恥ずかしくてならない」
「山の坊さんたちにもまるで話を変えてしてございます」
と惟光が言うので源氏は安心したようである。主従がひそひそ話をしているのを見た女房などは、
「どうも不思議ですね、行触(ゆきぶ)れだとお言いになって参内もなさらないし、また何か悲しいことがあるようにあんなふうにして話していらっしゃる」
腑(ふ)に落ちぬらしく言っていた。
「葬儀はあまり簡単な見苦しいものにしないほうがよい」
と源氏が惟光(これみつ)に言った。
「そうでもございません。これは大層(たいそう)にいたしてよいことではございません」
と否定してから、惟光が立って行こうとするのを見ると、急にまた源氏は悲しくなった。
「よくないことだとおまえは思うだろうが、私はもう一度遺骸(いがい)を見たいのだ。それをしないではいつまでも憂鬱(ゆううつ)が続くように思われるから、馬ででも行こうと思うが」
主人の望みを、とんでもない軽率なことであると思いながらも惟光は止めることができなかった。
「そんなに思召(おぼしめ)すのならしかたがございません。では早くいらっしゃいまして、夜の更(ふ)けぬうちにお帰りなさいませ」
と惟光は言った。五条通いの変装のために作らせた狩衣(かりぎぬ)に着更(きが)えなどして源氏は出かけたのである。病苦が朝よりも加わったこともわかっていて源氏は、軽はずみにそうした所へ出かけて、そこでまたどんな危険が命をおびやかすかもしれない、やめたほうがいいのではないかとも思ったが、やはり死んだ夕顔に引かれる心が強くて、この世での顔を遺骸で見ておかなければ今後の世界でそれは見られないのであるという思いが心細さをおさえて、例の惟光と随身を従えて出た。非常に路(みち)のはかがゆかぬ気がした。十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明(たいまつ)の淡い明りに鳥辺野(とりべの)のほうが見えるというこんな不気味な景色(けしき)にも源氏の恐怖心はもう麻痺(まひ)してしまっていた。ただ悲しみに胸が掻(か)き乱されたふうで目的地に着いた。凄(すご)い気のする所である。そんな所に住居(すまい)の板屋があって、横に御堂(みどう)が続いているのである。仏前の燈明の影がほのかに戸からすいて見えた。部屋(へや)の中には一人の女の泣き声がして、その室の外と思われる所では、僧の二、三人が話しながら声を多く立てぬ念仏をしていた。近くにある東山の寺々の初夜の勤行(ごんぎょう)も終わったころで静かだった。清水(きよみず)の方角にだけ灯(ひ)がたくさんに見えて多くの参詣(さんけい)人の気配(けはい)も聞かれるのである。主人の尼の息子(むすこ)の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風(びょうぶ)のこちらに右近(うこん)は横になっていた。どんなに侘(わび)しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐(かれん)さと少しも変わっていなかった。
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」
もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。源氏は右近に、
「あなたは二条の院へ来なければならない」
と言ったのであるが、
「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわかにお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。奥様がどうおなりになったかということを、どうほかの人に話ができましょう。奥様をお亡(な)くししましたほかに、私はまた皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
こう言って右近は泣きやまない。
「私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」
「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないのだ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。気を静めて私を信頼してくれ」
と言う源氏が、また、
「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」
と言うのであるから心細い。
「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」
惟光(これみつ)がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途についた。露の多い路(みち)に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味わわれた。某院の閨(ねや)にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、その夜上に掛けて寝た源氏自身の紅の単衣(ひとえ)にまだ巻かれていたこと、などを思って、全体あの人と自分はどんな前生の因縁があったのであろうと、こんなことを途々(みちみち)源氏は思った。馬をはかばかしく御して行けるふうでもなかったから、惟光が横に添って行った。加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。失心したふうで、
「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。二条の院まではとうてい行けない気がする」
と言った。惟光の頭も混乱状態にならざるをえない。自分が確(しか)とした人間だったら、あんなことを源氏がお言いになっても、軽率にこんな案内はしなかったはずだと思うと悲しかった。川の水で手を洗って清水(きよみず)の観音を拝みながらも、どんな処置をとるべきだろうと煩悶(はんもん)した。源氏もしいて自身を励まして、心の中で御仏(みほとけ)を念じ、そして惟光たちの助けも借りて二条の院へ行き着いた。
毎夜続いて不規則な時間の出入りを女房たちが、
「見苦しいことですね、近ごろは平生よりもよく微行(おしのび)をなさる中でも昨日(きのう)はたいへんお加減が悪いふうだったでしょう。そんなでおありになってまたお出かけになったりなさるのですから、困ったことですね」
こんなふうに歎息(たんそく)をしていた。
源氏自身が予言をしたとおりに、それきり床について煩ったのである。重い容体が二、三日続いたあとはまた甚(はなはだ)しい衰弱が見えた。源氏の病気を聞こし召した帝(みかど)も非常に御心痛あそばされてあちらでもこちらでも間断なく祈祷(きとう)が行なわれた。特別な神の祭り、祓(はら)い、修法(しゅほう)などである。何にもすぐれた源氏のような人はあるいは短命で終わるのではないかといって、一天下の人がこの病気に関心を持つようにさえなった。
病床にいながら源氏は右近を二条の院へ伴わせて、部屋(へや)なども近い所へ与えて、手もとで使う女房の一人にした。惟光(これみつ)は源氏の病の重いことに顛倒(てんとう)するほどの心配をしながら、じっとその気持ちをおさえて、馴染(なじみ)のない女房たちの中へはいった右近のたよりなさそうなのに同情してよく世話をしてやった。源氏の病の少し楽に感ぜられる時などには、右近を呼び出して居間の用などをさせていたから、右近はそのうち二条の院の生活に馴(な)れてきた。濃い色の喪服を着た右近は、容貌(ようぼう)などはよくもないが、見苦しくも思われぬ若い女房の一人と見られた。
「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだろう。長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが、私もあの人のあとを追うらしいので、おまえには気の毒だね」
と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。二条の院の男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨の脚(あし)よりもしげく参入した。帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、そのことによって病から脱しようとみずから励むようになった。左大臣も徹底的に世話をした。大臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷(きとう)をしたせいでか、二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。行触(ゆきぶ)れの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏は逢(あ)いたく思召(おぼしめ)す帝(みかど)の御心中を察して、御所の宿直所(とのいどころ)にまで出かけた。退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて邸(やしき)へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。この世界でない所へ蘇生(そせい)した人間のように当分源氏は思った。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka
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