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■二十七巻
『新書太閤記』YouTube朗読連載動画(第二十七回)
第148話「鷹を追う」 / 第149話「折檻」 / 第150話「名将と名将」
解説 & 登場人物一覧
【解説】
① 第148話「鷹を追う」
信長が細川忠興と明智光秀の娘(細川ガラシャ)の婚姻を仲介し、家臣間の結びつきを強化していく。
本願寺との長年の対立が続く中、信長は表向き「鷹狩り」と称して軍を大坂近郊に展開し、本願寺を包囲。
目的は戦闘による決着ではなく、外交的圧力をかけての降伏だった。
▶ 史実との比較
細川忠興と細川ガラシャの婚姻は、実際に信長の仲介によって行われたとされています。
信長は本願寺勢力を弱体化させるため、長期間の包囲戦を展開しました。本願寺が11年にわたる抗戦の末に降伏する流れは史実と一致しています。
② 第149話「折檻」
長年の軍事的怠慢を理由に、信長が重臣・佐久間信盛を厳しく追放する。佐久間信盛は長らく本願寺攻めの総指揮を執っていたものの、大きな戦果を上げることができなかった。
信長の家臣に対する統治方針を明確に示す。長年仕えてきた家臣であっても、成果を出さなければ厳罰を下すという、信長特有の非情な政治姿勢が浮き彫りになっています。
また、森蘭丸の視点を通じて、信長の家臣たちがこの処分に戦々恐々とする様子も描かれる。信長はさらに、林佐渡守や安藤伊賀守といった古参の家臣にも処分を下し、長年の不信を晴らそうとしていました。
▶ 史実との比較
佐久間信盛の追放は史実に基づいており、実際に彼は高野山へ追放された後、紀州へと落ち延びています。
信長は戦国大名の中でも特に成果主義的な統治を行い、功績のない家臣を容赦なく処分しました。
③ 第150話「名将と名将」
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による鳥取城攻めと、吉川経家の決断が描かれてる。
秀吉は鳥取城を兵糧攻めにし、城兵を餓死寸前に追い込みます。
城主・吉川経家は無益な戦闘を避けるために開城を決意し、自ら切腹することで城兵の命を救いました。この決断は、戦国時代における武士の名誉と責任を示す象徴的な行動として描かれています。
また、秀吉が占領後に迅速に復興を進め、民衆の支持を得る様子も描かれます。
これは、彼の領地統治能力の高さを示すエピソードとして重要です。
▶ 史実との比較
鳥取城の兵糧攻めは史実に忠実であり、吉川経家は城兵と住民を救うために切腹しました。
秀吉が城下の住民を保護し、経済活動の復興を進めたのも事実であり、彼の領国経営の巧みさがうかがえます。
【登場人物一覧】
① 織田家
・織田信長(おだ のぶなが)… 織田家の当主。冷徹な判断力を持ち、本願寺との戦いや家臣の管理に力を注ぐ。
・森蘭丸(もり らんまる)… 信長の側近。信長の意向を敏感に察知し、信長の心情を推測する。
・林佐渡守通勝(はやし さどのかみ みちかつ)… 信長の宿老。過去の裏切りを理由に追放される。
・安藤伊賀守(あんどう いがのかみ)… かつて織田家を裏切ろうとした過去を持つ家臣。信長により処分される。
・佐久間信盛(さくま のぶもり)… 本願寺攻めの総大将。戦果を挙げられなかったため、信長から折檻され追放される。
② 明智・細川家
・明智光秀(あけち みつひで)… 織田家の重臣。細川家と姻戚関係を持つ。
・細川藤孝(幽斎)(ほそかわ ふじたか(ゆうさい))… 戦国大名であり文化人。信長の信任が厚い。
・細川忠興(与一郎)(ほそかわ ただおき(よいちろう))… 藤孝の嫡男。明智光秀の娘と結婚。
・細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)… 明智光秀の三女。細川忠興の妻となる。
③ 本願寺勢
・顕如(けんにょ)… 本願寺の法主。信長と長年対立するが、最終的に大坂を退去する。
・教如(きょうにょ)… 顕如の息子。本願寺の強硬派で、徹底抗戦を主張する。
④ 羽柴(豊臣)家
・羽柴秀吉(豊臣秀吉)(はしば ひでよし(とよとみ ひでよし))… 織田家の家臣。鳥取城を兵糧攻めで陥落させる。
・黒田官兵衛(くろだ かんべえ)… 秀吉の軍師。鳥取城の兵糧攻めを主導。
・堀尾茂助(堀尾吉晴)(ほりお しげます(ほりお よしはる))… 秀吉の家臣。鳥取城の降伏交渉を担当。
・浅野長吉(浅野長政)(あさの ながよし(あさの ながまさ))… 秀吉の家臣。吉川経家と親交があり、降伏交渉を担う。
⑤ 毛利家
・吉川経家(きっかわ つねいえ)… 毛利家の武将。鳥取城を守るが、開城して切腹。
・吉川元春(きっかわ もとはる)… 毛利家の重臣。鳥取城救援を試みるが失敗。
・小早川隆景(こばやかわ たかかげ)… 毛利家の重臣。戦略を担当。
■豊臣秀吉の生涯を描いた歴史小説で、1939年(昭和14年)1月1日から1945年(昭和20年)8月23日まで読売新聞に『太閤記』として連載されました。しかし、終戦に伴い連載は中断されました。その後、1949年(昭和24年)に『続太閤記』として中京新聞など複数の地方紙に発表され、1950年から1951年にかけて六興出版部から全11巻で『新書太閤記』として刊行されました。
■主題歌つきライブまとめ
https://x.gd/OKB46
■新書太閤記再生リスト
https://x.gd/2SFJx
■この作品は、当初読売新聞に1939年1月1日から1945年8月23日まで、掲載されました。
以降の原稿は、「続太閤記」としていくつかの地方紙に掲載されました。前半の中断は、終戦が原因となったそうです。
日本の天下を統一した豊臣秀吉の生涯を昭和の文豪が描く!
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