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【朗読】峠三吉「百足競争」「ドッヂ・ボール」  朗読・あべよしみ

Last updated 2023-06-29 19:49:24

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『峠三吉作品集・下』(青木書店)1975年8月15日発行 より朗読させていただきました。 ★ここに収録した作品は「童話」と題された一冊のノートに書かれていたもの。ノートの署名は「とうげ・みつよし」となっている。 「百足競争」 創作年月日は昭和20年4月28日(同年10月20日推敲) 童話雑誌『銀の鈴』(昭和22年、号数不明)に発表され、はじめて活字になり、原稿料860円をもらった作品。 「ドッヂ・ボール」創作年月日は昭和22年3月22日。 広島県庁の憲法普及会が募集した文芸コンクールの童話の部で一位入選した作品。 【もくじ】 00:00 百足競争 31:00 ドッヂ・ボール 峠 三吉 (とうげ さんきち、1917年(大正6年)2月19日 - 1953年(昭和28年)3月10日)は、詩人。本名は、三吉(みつよし)。日本共産党党員であった。 父・嘉一はタイル製造などを手がける実業家で、三吉は父の勤務地大阪府豊能郡(現在の豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居した。幼い頃から気管支の病気に苦しめられしばしば喀血、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作にいそしんだが、卒業後は長期の療養生活を余儀なくされ、この病気は三吉を生涯苦しめることとなった。 さらに1945年(昭和20年)8月6日、爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠)で被爆。 敗戦後は広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たし、広島青年文化連盟委員長に就任した。広島県庁での勤務や雑誌『ひろしま』編集、1949年(昭和24年)にはサークル「われらの詩の会」を発足、詩誌『われらの詩』を創刊した。1950年(昭和21年)6月に朝鮮戦争が開戦されると、「われらの詩の会」は被爆地広島における反戦反核運動の拠点ともなった。1951年(昭和26年)には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を自費出版、原爆被害を告発しその体験を広めた。この自費出版版の表紙と挿画は四國五郎が描いた。 1952年(昭和27年)3月、新日本文学会全国大会出席のため上京の途上で大喀血し、静岡赤十字病院に入院。その後は再び精力的に活動に奔走する日々を送る。 1953年(昭和28年)2月、創作活動・社会活動に耐えうる健康な身体を確実にするため、持病(気管支拡張症)の本格的治療を決意し、国立広島療養所に入院。肺葉切除手術を受けたが術中に病状が悪化、14時間の苦闘のすえ手術台上で死没した。36歳没。被爆から8年後のことだった。 峠の詩は、峠の死後50年が経過し、日本国内での著作権保護期間が満了しているため、様々な平和教材に引用されたり、ネット上で閲覧する事ができる。 (Wikipediaより) ボイストレーナー・朗読家の あべよしみです。 こちらでは様々な文学作品を中心に投稿してゆきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 ♥チャンネル登録していただけたら、非常に喜びます(^。^) ●stand.fmでは「いちのすけ朗読の屋根裏」というチャンネルで、発声練習・滑舌練習に関するフリートークや短い朗読やライブ配信もしています。 よろしくお願いします→https://stand.fm/channels/60919d7526f6f56b24a637b0 ●Twitter https://twitter.com/abe_yoshimi_2 ●Facebook https://www.facebook.com/yoshimi.abe.96 (フェイスブックの友達申請は、チャンネルの視聴者様である旨、コメントをつけていただきますようお願いします。) ●ブログ「ただ今、ここで」 https://ameblo.jp/tsuyoshi7227/ #朗読 #峠三吉 #短編 #小説 #童話 #原爆文学 #原爆詩