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4.5 源氏、夕顔の宿に忍び通う
それから、あの惟光(これみつ)の受け持ちの五条の女の家を探る件、それについて惟光はいろいろな材料を得てきた。
「まだだれであるかは私にわからない人でございます。隠れていることの知れないようにとずいぶん苦心する様子です。閑暇(ひま)なものですから、南のほうの高い窓のある建物のほうへ行って、車の音がすると若い女房などは外をのぞくようですが、その主人らしい人も時にはそちらへ行っていることがございます。その人は、よくは見ませんがずいぶん美人らしゅうございます。この間先払いの声を立てさせて通る車がございましたが、それをのぞいて女(め)の童(わらわ)が後ろの建物のほうへ来て、『右近(うこん)さん、早くのぞいてごらんなさい、中将さんが通りをいらっしゃいます』と言いますと相当な女房が出て来まして、『まあ静かになさいよ』と手でおさえるようにしながら、『まあどうしてそれがわかったの、私がのぞいて見ましょう』と言って前の家のほうへ行くのですね、細い渡り板が通路なんですから、急いで行く人は着物の裾(すそ)を引っかけて倒れたりして、橋から落ちそうになって、『まあいやだ』などと大騒ぎで、もうのぞきに出る気もなくなりそうなんですね。車の人は直衣(のうし)姿で、随身たちもおりました。だれだれも、だれだれもと数えている名は頭中将(とうのちゅうじょう)の随身や少年侍の名でございました」
などと言った。
「確かにその車の主が知りたいものだ」
もしかすればそれは頭中将が忘られないように話した常夏(とこなつ)の歌の女ではないかと思った源氏の、も少しよく探りたいらしい顔色を見た惟光(これみつ)は、
「われわれ仲間の恋と見せかけておきまして、実はその上に御主人のいらっしゃることもこちらは承知しているのですが、女房相手の安価な恋の奴(やっこ)になりすましております。向こうでは上手(じょうず)に隠せていると思いまして私が訪ねて行ってる時などに、女の童(わらわ)などがうっかり言葉をすべらしたりいたしますと、いろいろに言い紛らしまして、自分たちだけだというふうを作ろうといたします」
と言って笑った。
「おまえの所へ尼さんを見舞いに行った時に隣をのぞかせてくれ」
と源氏は言っていた。たとえ仮住まいであってもあの五条の家にいる人なのだから、下の品の女であろうが、そうした中におもしろい女が発見できればと思うのである。源氏の機嫌(きげん)を取ろうと一所懸命の惟光であったし、彼自身も好色者で他の恋愛にさえも興味を持つほうであったから、いろいろと苦心をした末に源氏を隣の女の所へ通わせるようにした。
女のだれであるかをぜひ知ろうともしないとともに、源氏は自身の名もあらわさずに、思いきり質素なふうをして多くは車にも乗らずに通った。深く愛しておらねばできぬことだと惟光は解釈して、自身の乗る馬に源氏を乗せて、自身は徒歩で供をした。
「私から申し込みを受けたあすこの女はこの態(てい)を見たら驚くでしょう」
などとこぼしてみせたりしたが、このほかには最初夕顔の花を折りに行った随身と、それから源氏の召使であるともあまり顔を知られていない小侍だけを供にして行った。それから知れることになってはとの気づかいから、隣の家へ寄るようなこともしない。女のほうでも不思議でならない気がした。手紙の使いが来るとそっと人をつけてやったり、男の夜明けの帰りに道を窺(うかが)わせたりしても、先方は心得ていてそれらをはぐらかしてしまった。しかも源氏の心は十分に惹(ひ)かれて、一時的な関係にとどめられる気はしなかった。これを不名誉だと思う自尊心に悩みながらしばしば五条通いをした。恋愛問題ではまじめな人も過失をしがちなものであるが、この人だけはこれまで女のことで世間の批難を招くようなことをしなかったのに、夕顔の花に傾倒してしまった心だけは別だった。別れ行く間も昼の間もその人をかたわらに見がたい苦痛を強く感じた。源氏は自身で、気違いじみたことだ、それほどの価値がどこにある恋人かなどと反省もしてみるのである。驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもない。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人ではないようである。どこがそんなに自分を惹きつけるのであろうと不思議でならなかった。わざわざ平生の源氏に用のない狩衣(かりぎぬ)などを着て変装した源氏は顔なども全然見せない。ずっと更(ふ)けてから、人の寝静まったあとで行ったり、夜のうちに帰ったりするのであるから、女のほうでは昔の三輪(みわ)の神の話のような気がして気味悪く思われないではなかった。しかしどんな人であるかは手の触覚からでもわかるものであるから、若い風流男以外な者に源氏を観察していない。やはり好色な隣の五位(ごい)が導いて来た人に違いないと惟光(これみつ)を疑っているが、その人はまったく気がつかぬふうで相変わらず女房の所へ手紙を送って来たり、訪(たず)ねて来たりするので、どうしたことかと女のほうでも普通の恋の物思いとは違った煩悶(はんもん)をしていた。
4.6 八月十五夜の逢瀬
源氏もこんなに真実を隠し続ければ、自分も女のだれであるかを知りようがない、今の家が仮の住居(すまい)であることは間違いのないことらしいから、どこかへ移って行ってしまった時に、自分は呆然(ぼうぜん)とするばかりであろう。行くえを失ってもあきらめがすぐつくものならよいが、それは断然不可能である。世間をはばかって間を空(あ)ける夜などは堪えられない苦痛を覚えるのだと源氏は思って、世間へはだれとも知らせないで二条の院へ迎えよう、それを悪く言われても自分はそうなる前生の因縁だと思うほかはない、自分ながらもこれほど女に心を惹(ひ)かれた経験が過去にないことを思うと、どうしても約束事と解釈するのが至当である、こんなふうに源氏は思って、
「あなたもその気におなりなさい。私は気楽な家へあなたをつれて行って夫婦生活がしたい」こんなことを女に言い出した。
「でもまだあなたは私を普通には取り扱っていらっしゃらない方なんですから不安で」
若々しく夕顔が言う。源氏は微笑された。
「そう、どちらかが狐(きつね)なんだろうね。でも欺(だま)されていらっしゃればいいじゃない」
なつかしいふうに源氏が言うと、女はその気になっていく。どんな欠点があるにしても、これほど純な女を愛せずにはいられないではないかと思った時、源氏は初めからその疑いを持っていたが、頭中将(とうのちゅうじょう)の常夏(とこなつ)の女はいよいよこの人らしいという考えが浮かんだ。しかし隠しているのはわけのあることであろうからと思って、しいて聞く気にはなれなかった。感情を害した時などに突然そむいて行ってしまうような性格はなさそうである、自分が途絶えがちになったりした時には、あるいはそんな態度に出るかもしれぬが、自分ながら少し今の情熱が緩和された時にかえって女のよさがわかるのではないかと、それを望んでもできないのだから途絶えの起こってくるわけはない、したがって女の気持ちを不安に思う必要はないのだと知っていた。
八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根の隙間(すきま)だらけの家の中へさし込んで、狭い家の中の物が源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。近所の家々で貧しい男たちが目をさまして高声で話すのが聞こえた。
「ああ寒い。今年(ことし)こそもう商売のうまくいく自信が持てなくなった。地方廻りもできそうでないんだから心細いものだ。北隣さん、まあお聞きなさい」
などと言っているのである。哀れなその日その日の仕事のために起き出して、そろそろ労働を始める音なども近い所でするのを女は恥ずかしがっていた。気どった女であれば死ぬほどきまりの悪さを感じる場所に違いない。でも夕顔はおおようにしていた。人の恨めしさも、自分の悲しさも、体面の保たれぬきまり悪さも、できるだけ思ったとは見せまいとするふうで、自分自身は貴族の子らしく、娘らしくて、ひどい近所の会話の内容もわからぬようであるのが、恥じ入られたりするよりも感じがよかった。ごほごほと雷以上の恐(こわ)い音をさせる唐臼(からうす)なども、すぐ寝床のそばで鳴るように聞こえた。源氏もやかましいとこれは思った。けれどもこの貴公子も何から起こる音とは知らないのである。大きなたまらぬ音響のする何かだと思っていた。そのほかにもまだ多くの騒がしい雑音が聞こえた。白い麻布を打つ砧(きぬた)のかすかな音もあちこちにした。空を行く雁(かり)の声もした。秋の悲哀がしみじみと感じられる。庭に近い室であったから、横の引き戸を開けて二人で外をながめるのであった。小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽(せんざい)のに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀(こおろぎ)でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていなかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。白い袷(あわせ)に柔らかい淡紫(うすむらさき)を重ねたはなやかな姿ではない、ほっそりとした人で、どこかきわだって非常によいというところはないが繊細な感じのする美人で、ものを言う様子に弱々しい可憐(かれん)さが十分にあった。才気らしいものを少しこの人に添えたらと源氏は批評的に見ながらも、もっと深くこの人を知りたい気がして、
「さあ出かけましょう。この近くのある家へ行って、気楽に明日(あす)まで話しましょう。こんなふうでいつも暗い間に別れていかなければならないのは苦しいから」
と言うと、
「どうしてそんなに急なことをお言い出しになりますの」
おおように夕顔は言っていた。変わらぬ恋を死後の世界にまで続けようと源氏の誓うのを見ると何の疑念もはさまずに信じてよろこぶ様子などのうぶさは、一度結婚した経験のある女とは思えないほど可憐であった。源氏はもうだれの思わくもはばかる気がなくなって、右近(うこん)に随身を呼ばせて、車を庭へ入れることを命じた。夕顔の女房たちも、この通う男が女主人を深く愛していることを知っていたから、だれともわからずにいながら相当に信頼していた。
ずっと明け方近くなってきた。この家に鶏(とり)の声は聞こえないで、現世利益(りやく)の御岳教(みたけきょう)の信心なのか、老人らしい声で、起(た)ったりすわったりして、とても忙しく苦しそうにして祈る声が聞かれた。源氏は身にしむように思って、朝露と同じように短い命を持つ人間が、この世に何の慾(よく)を持って祈祷(きとう)などをするのだろうと聞いているうちに、
「南無(なむ)当来の導師」
と阿弥陀如来(あみだにょらい)を呼びかけた。
「そら聞いてごらん。現世利益だけが目的じゃなかった」
とほめて、
優婆塞(うばそく)が行なふ道をしるべにて来ん世も深き契りたがふな
とも言った。玄宗(げんそう)と楊貴妃(ようきひ)の七月七日の長生殿の誓いは実現されない空想であったが、五十六億七千万年後の弥勒菩薩(みろくぼさつ)出現の世までも変わらぬ誓いを源氏はしたのである。
前(さき)の世の契り知らるる身のうさに行く末かけて頼みがたさよ
と女は言った。歌を詠(よ)む才なども豊富であろうとは思われない。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka
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