YouTube - 動画概要欄 -
御所へ帰った命婦は、まだ宵(よい)のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃(ようきひ)の恋を題材にした白楽天の長恨歌(ちょうごんか)を、亭子院(ていしいん)が絵にあそばして、伊勢(いせ)や貫之(つらゆき)に歌をお詠(よ)ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那(しな)のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言(だいなごん)家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。
荒き風防ぎし蔭(かげ)の枯れしより小萩(こはぎ)が上ぞしづ心無き
というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠(よ)んでいるのであるからと寛大に御覧になった。帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、それが御困難であるらしい。はじめて桐壺(きりつぼ)の更衣(こうい)の上がって来たころのことなどまでがお心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。
「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬(むく)いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」
とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。
「しかし、あの人はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后(きさき)の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」
などという仰せがあった。命婦(みょうぶ)は贈られた物を御前(おまえ)へ並べた。これが唐(から)の幻術師が他界の楊貴妃(ようきひ)に逢(あ)って得て来た玉の簪(かざし)であったらと、帝はかいないこともお思いになった。
尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂(たま)のありかをそこと知るべく
絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描(か)いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液(たいえき)の池の蓮花(れんげ)にも、未央宮(びおうきゅう)の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐(から)の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶(えん)な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。お二人の間はいつも、天に在(あ)っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風の音(ね)にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)はもう久しく夜の御殿(おとど)の宿直(とのい)にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更(ふ)けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思召した。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けぎらいな性質の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。
月も落ちてしまった。
雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生(あさぢふ)の宿
命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像あそばしながら起きておいでになった。
右近衛府(うこんえふ)の士官が宿直者の名を披露(ひろう)するのをもってすれば午前二時になったのであろう。人目をおはばかりになって御寝室へおはいりになってからも安眠を得たもうことはできなかった。
朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔の御追憶がお心を占めて、寵姫(ちょうき)の在(あ)った日も亡(な)いのちも朝の政務はお怠りになることになる。お食欲もない。簡単な御朝食はしるしだけお取りになるが、帝王の御朝餐(ちょうさん)として用意される大床子(だいしょうじ)のお料理などは召し上がらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態を歎(なげ)いていた。すべて側近する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の御縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声もお耳には留まらず、その人に関することだけは正しい判断を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務も何もお顧みにならない、国家のためによろしくないことであるといって、支那(しな)の歴朝の例までも引き出して言う人もあった。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka