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蘆刈(改造 1932年11月-12月)
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『増鏡』(口語訳)
鳥羽殿、白河殿なども修理されて、常に渡り住んでおられましたが、また水無瀬と言う所に、申しようもなく趣きのある院をお造りになられて、しばしば通われておられました、春秋の花紅葉の季節には、思うままに都の人々を呼ばれて、遊びを楽しんでおられました。場所がらも、はるばると川を臨む眺めは、たいそう趣きがございました。元久の頃、詩に歌を合わせられましたが、格別でございましたのは、
見渡せば、山の麓は霞み、遠く水無瀬川が見える。夕べは秋が一番などと申すが、何を思ってのことか。春の夕暮れが格別であろう。
茅葺きの廊・渡殿など、はるばると美しく風流に造られておりました。御前の山より滝を落とすために設えられた石の佇まい、苔深い深山木に枝を延ばした庭の小松も、まこと千世を込めた霞の洞でございました。前栽に花を植える頃には、人々を数多く呼ばれて、遊びをなされた後、定家中納言が、いまだ下臈でございましたが、歌を詠みました。
峰の若松は千年の間そこに立っておりましたのに、たちまちにして我が君を気に入られたたようでございますね。
流れ入る庭の遣水が岩を越すその数は、君の代が永遠に続くことを示しているのでございましょう。
0:11:17(口語訳)
夏の頃水無瀬殿の釣殿に出られて、氷水を運ばせて、水飯など、若い上達部・殿上人どもに賜われて、大御酒を参らせるついでにも、「なんとも、古の紫式部は大したものよ。かの源氏物語にも、「近き川の鮎、西山より奉れるいしぶしのようなものを、御前で調理して」と書いておる、たいそう詳しく書いてあってうれしい。すぐにそういう料理を用意せよ」と申されると、秦の某とかいう随身が、勾欄の下近くに伺候しておりましたが、承って、池の汀の篠を少し敷いて、白米を水に洗って奉りました。「うまくかわしよったのう」と申されて、衣を脱いで与えました。盃が度々廻らされました。
0:22:08 饂飩屋から中洲へ
0:56:30 男の身の上話
谷崎 潤一郎
1886年(明治19年)7月24日 -
1965年(昭和40年)7月30日