YouTube - 動画概要欄 -
どの天皇様の御代(みよ)であったか、女御(にょご)とか更衣(こうい)とかいわれる後宮(こうきゅう)がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵(あいちょう)を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃(たの)む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬(しっと)の焔(ほのお)を燃やさないわけもなかった。夜の御殿(おとど)の宿直所(とのいどころ)から退(さが)る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見耳に聞いて口惜(くちお)しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、いよいよ帝(みかど)はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。御聖徳を伝える歴史の上にも暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上役人たちも困って、御覚醒(かくせい)になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛(ちょうあい)ぶりであった。 でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家(ようか)の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭(かげ)ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気(ふんいき)の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。父の大納言(だいなごん)はもう故人であった。母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手(はで)な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。
朗読:日髙徹郎 Ted Hidaka